なぜなら、その話をしなければ、本当のことをお伝えできないからです。
昭和25年(1950年)10月23日てんびん座の最後の日。
私は福岡市中央区桜坂、筑紫女学園のウラで生まれました。
私の母は6人兄弟の長女として生まれ育ちました。
祖父は広島で生まれ、大阪で小学校の校長として勤務した後、引退していましたが、厳格で昔気質な人だったと聞いています。
父は、現在では拓けていますが昔は何もなかった広島の田舎で生まれ育ちました。
今はもう営んでいないのですが、地元で郵便局を営んでいる家庭に育ちました。
それから父は英語教師になろうとしていたのですが、戦争の影響で王子製紙のサラリーマンとして忙しい日々を送るようになっていました。
私はそんな両親に育てられました。
高校に上がるころ、私は成績がよいほうだったので、福岡の修猷館高校に入学することができました。
しかし、成績が中学時代はベスト5だったのが 高校では500人中370番くらいになってしまったのです。
私はそのことにショックを受け、勉強もせずにパチンコをしていたりと無味乾燥な日々を送ることになったのです。
卒業が近づくにつれて進学のことを考えるようになり、なんとなく早稲田大学に行きたいと思っていたのですが、残念ながら試験に落ちてしまいました。
ですが、どうしても福岡から出て東京に行きたいと思っていたので、日本大学に行くことになったのです。
そこからは典型的な大学生生活です。
1、2年次はジャズバンドを組んで同好会を結成したり、ジャズ喫茶で演奏したりして遊びながら毎日を過ごしていました。
そこで私の仕事人生の大きなきっかけに出会ったのです。
それは、私の叔父でした。
彼は、不動産鑑定士と税理士をしており、「会計士の資格をとったほうがいいよ」と言われ勧められたことが直接のきっかけだったのです。
その当時、私自身はジャズをしていたので地下にオーディオルームがほしいからお金を稼ぐにはいいかな、程度の気持ちでしたが、 実際に勉強を始めると熱中してしまったのです。
3年次から勉強を開始したのですが、本当に勉強漬けの日々でした。
勉強しては寝て、起きてはまた勉強と、ひたすら勉強していました。
今でもそのことが自分の自信になっているほどです。
その流れで、日本大学の大学院に入り、修士課程を卒業することになりました。
会計士の勉強をしていたのですが試験に受かることができないまま、時が流れていたときのこと。
父が「肝硬変」であると医者に告げられたのです。
そのため私は福岡に再び戻ることになりました。
そして、福岡に戻ると鹿谷経営会計事務所に入り、そこで働いているときに税理士試験に合格しました。
それから1年して大栄総合教育システムに入社しました。
そこの税理士学院、学院長として勤めていました。
私はそこで私のいる天神校を全国での売上トップにしたのです。
それまでは大阪の梅田校だったのですが、私が簿記3級の受講生100人中99人を合格させたり、 一括割引を行うなど、当時では革新的なビジネス手法を活用したことでそれを達成することができたのです。
そのような達成をしたものの、自分自身のことについて考え、ふと悩んでいたのです。
「自分にとって一番苦手なことは何だろうか?」と。
その結果、私はセールスが苦手なのだと自覚したのです。
ですから、その苦手を克服しようとセールスをするために(有)サクセスパワー福岡にフルコミッションセールスとして入社することになりました。
そこで私は、セールスの厳しさと面白さを知り、セールスの奥深さを知ったので、このまま続けていくつもりでした・・・
昭和59年8月のこと。
父がこう私に言ったのです。
「約束してほしいことが3つある。」
「ひとつは、早く税理士事務所を開業してくれ。」
「2つ目は、広島にある家族のお骨を福岡へ移してほしい。」
「3つ目は、母さんをよろしくたのむ。」
私は強い衝撃を受けました。
それが、父からの事実上の遺言だとわかったからです。
父の容体は悪化していました。
それがわかっていたからこそ、私は父が生きている間に約束を守ろうと行動することを強く決意したのです。
広島のお骨をすぐに福岡に移すと、事務所を開業しようと思いました。
しかし、当時の私にそのようなお金はなく、開業しようにも資金的に実現が難しい状態だったのです。
それを察知していたのか、父はある日私を病室に呼び、無言で紙袋を手渡しました。
そのなかには、現金で150万円が入っていました。
当時の150万円ですから、当時ではかなりの大金です。
父は、典型的な日本のサラリーマンでした。
父は夜も遅く、私が起きている間には帰ってくることはなく、土日もほとんど家にいることはありませんでした。
おそらく、父は父なりにそのことを後悔していたのでしょう。
私がそのような状態にあると察すると私のために動いてくれたのです。
そのときのことは今でも感謝していますし、今でも心に深く刻まれています。
そういういきさつがあり、父のおかげで昭和59年12月17日に三好茂雄税理士事務所を開業することができたのです。
開業してから、数ヵ月たったころ、父は他界しました。
父の他界を深く心に刻み込み、事務所を開業してからは目標をクライアント数100社に設定して必死で働きました。
10年。
10年かかって、やっとその数字を達成することができたのです。
私にとってそれは自分の目標を達成した瞬間でした。
「夢がかなったんだ!」
私は妻と手を取り合って、飛び跳ねながらよろこびました。
そして、自分の目標はかなうのだとはっきりと自覚できたのです。
それまでは順調な人生を送っていたつもりでした。
クライアントの数も比較的多く、経済的にもそこそこ恵まれていたと思います。
しかし・・・
そのころ、ちょうど時代はバブル崩壊が起きたころでした。
私もご多分にもれず、数千万円のマンションを購入したり、借金で株式を購入したりとバブルの時代では典型的なことをしていたのです。
その後、当然のごとくバブルがはじけてマンションの価格は急激に下落、株価も下落・・・
買ったマンションは、あっという間に半値に落ち、株式もどんどん価値を失っていきました。
そのころは、本当につらかった。苦しかった。
移動しようにも交通費がない。
そのころは、キリスト教に強い興味を持ち、神学校に通っていたのですが、その学費もない。お金がない。
そのとき、私は本当にお金のないつらさ、そしてお金の大切さについて知ったのです。
それから神学校の卒業を機に、私は今の仕事をさらに頑張る決意をしました。
これからは必死で働くしかないと考え、クライアント数を増やすため、お金を稼ぐために必死で働きました。
企業再生の関係の仕事をたくさん入れて、全国を飛び回ったりしていました。
私はそのころ、バブル崩壊の痛手から順調に立ち直っているような気分になっていました。
企業再生の仕事で全国を飛び回るほど忙しく、クライアント数も200件を超え、事務所の規模も大きくなっていました。
私は、自分はなんてすごいんだ、と誇らしげに感じていたのです。
その裏で何が起きようとしているのかも知らずに。
全国を飛び回っている間、もちろん事務所に私はいません。
そうです。
私は福岡にある事務所をほったらかしにしていたのです。
そして、私にとって一番大切なクライアントさえも・・・。
ある日のことでした。
私の下で働いてくれていた税理士たちが、独立すると言いだしたのです。
私は何も言えず、彼らは独立することになりました。
そして、彼らは私がほったらかしにしてしまっていたクライアントの半分を持っていってしまったのです。
私の周りから、たくさんの人が離れて行ってしまった瞬間でした。
自分には価値がないのか、と絶望してしまうこともありました。
「何で自分が・・・」そういう気持ちがあったことは否定しません。
ただ、それもこれも、自分の蒔いた種だったのです。
自分が事務所をほったらかしにしてしまっていたからこそ、起きたことだったのです。
自業自得。当然です。
社長の顔も知らない会社もありました。
会社名も知らないところもありました。
そんなんだから、当然の報いです。
だからこそ、そのとき私は心に誓ったのです。
「もう二度と、このようにクライアントを無視したりはしない」
「きちんと地域に密着して、クライアントを大切にする」
「クライアント、その人にあった才能(タレント)を100%使いこなせるよう充実したサポートをする」
しかし、現実に私はクライアントをほったらかしにしてしまっていたのですから、 当然、残っていただいたクライアントの方からも、厳しい言葉をおびせられました。
「さっさと出て行ってくれ!」
「今までほったらかしにしておいて!」
つらかった。
自分に非があるからこそ、なおさらつらかった。
しかし、それは絶対に逃げてはいけないつらさだとわかっていました。
そこから私は、誓いを守ってすべてのクライアントと会い、サポートすることを心で強く誓ったのです。
そのようなころ、クライアントのために何かもっとできることはないかと、 昔の会計士になろうとしていた気持ちもあり、勉強を再開しようかと調べていました。
ただ、再度受験しようと思っても、年を取っていますから、難しいかなと思っていたのです。
ちょうどそのころ、米国CPAという資格が流行していました。
米国CPAは、アメリカの公認会計士の資格のことですが、その勉強を始めてみるか、と一念発起して勉強を始めたのです。
米国CPAの教科書の中身を読んでいくと、日本のものとは違った内容を発見したのです。
その当時、日本での財務諸表では「貸借対照表(BS)」と「損益計算書(PL)」だけだったのですが、 米国のものには、それら2つに加えて「CS」というものがあったのです。
「CS」って何だろうか?と調べてみると、「キャッシュフロー計算書(CS)」というものだったのです。
キャッシュフロー計算書は、現金の流れを表す計算書のことでした。
それを知った私の頭に、バブルのときに痛感した「お金のない痛み」が再びよみがえってきたのです。
そう思ったとき、私はこれを私のクライアントのために活かすべきだと思ったのです。
それから、私はこのキャッシュフロー経営について多大な時間、研究し、 1998年、キャッシュフローによる企業評価計算書にて特許出願し、特許を取ることになったのです。('99米国へ特許出願 特開2000-190663)
それからの私は、地域に密着し、自分自身のクライアントを大切にしながら、 中小企業のためのキャッシュフロー経営を多くの経営者に伝える活動をし始めました。
人の縁から、福岡で有名な博多座のこけら落しでキャッシュフロー経営に関するセミナーをしたことがきっかけで、 たくさんの企業からどんどんお呼びがかかることになりました。
大和銀行、西日本シティ銀行、福岡銀行、沖縄銀行、岐阜銀行、その他の多数の銀行や信金、 富士通、オービックビジネスコンサルティング、日本生命、東京海上あんしん生命、 銀行研修社、商工会議所、中小企業大学など、合計2,000以上の企業のセミナー、コンサルティングをすることになったのです。
その後、私は名古屋にある税理士法人コスモスと話をする機会がありました。 そのとき、私は、彼らのサービスの質を強く実感したのです。普通の税理士事務所では処理できないようなレベルの案件も、軽々とこなす姿。普通の事務所では定時に帰宅するのがあたりまえなのに、夜遅くまで働いている献身さ。ひたすらクライアントに高い品質のサービスを提供しようという意識の高さ。
そして、私は同時に気づいたのです。今までのように、私だけが主体となって事務所を経営していては、コスモスのような質の高いサービスを提供していくことはできないということを。それには、彼らの支援があってこそ可能になるということを。
それに気づいて、私は税理士法人コスモスと経営統合することを決意しました。
それから少し経った2008年1月1日。 三好茂雄税理士事務所は、税理士法人コスモスと経営統合することとなったのです。そのため、私はより素晴らしい状態で、税理士法人コスモスの代表社員となり、福岡事務所を統括しています。
そのおかげで、今までのクライアントには、これまでできなかったようなサービスを提供することができ、さらに質の高いサービスを提供できるようになったのです。
たしかに、今も忙しい日々を送っています。
しかし、今、私はクライアントを大切にすることを重視した日々を送っていますし、自分の地域からもう決して大きく外れることはしていません。
そして、クライアント、その人にあった才能(タレント)を100%使いこなせるよう充実したサポートをすることをずっと考えています。
私たち、企業の税務に携わるものは、経営者であるあなたと、普通では人には話さないような内情を共有することになります。
それは、本当に大きな責任だと思いますし、だからこそ、私は真剣にあなたにとっての本当に親しい友人になるべきだと思っているのです。
親友だからこそ、成功してもらいたい。
親友だからこそ、決して間違ったことはしてほしくない。
親友だからこそ、全力でサポートしたい。
私にとって、あなたはクライアントであり、親友なのです。
そして、かけがえのない存在、パートナーなのです。
一度、見失ってしまったことがあるからこそ、私には本当に理解できるのです。
私は、あなたを全力でサポートします。
もし、あなたが、ちゃらんぽらんな経営者だったり、グチばかりこぼす経営者であれば、私とは合わないと思います。
そのような方は、どうか別の税理士事務所のところに行かれたほうがお互いのためです。
ただ、もし、あなたが真剣に何かを達成しようと思っていたり、家族と経済的成功の両立を目指していたり、 大きなビジョンを達成しようと思っているのであれば、ぜひ、私とお話をしましょう。
私は、そんなあなたを福岡の赤坂でお待ちしています!
三好茂雄
三好茂雄の主な活動状況:
1.西銀経営情報サービス
平成11年3月12日西日本銀行顧客を対象に第1回目のセミナー開催。
以後、開催を続け、10回を超える。(受講社数 1,200社超)
2.西日本銀行
役職者を対象に2度にわたり教育実施。
平成13年10月20日〜21日・11月10日〜11日行員100名に 「法人営業スキルアップセミナー」と題してキャッシュフロー分析等を教育。
3.ビジネス会計人クラブ(東京)
第30回定例会及び第31回定例会で「キャッシュフロー経営と会計」講演。
要望により会計人対象に「キャッシュフローコンサルタント養成講座」を延べ 12時間(3日に分け)実施、受講出来なかった方の為、2回目を実施、 受講された会計事務所は51社。
4.オービックビジネスコンサルタント(東京)
東京、名古屋、大阪、和歌山、岡山、高松、広島、福岡等で「キャッシュフロー経営入門講座」開催。
5.(株)エプソン販売(東京)
東京、大阪、松山で「キャッシュフロー経営入門講座」開催。
執筆活動:
平成10年4月「やさしい資金管理」と題して地元経済誌に連載
平成12年2月「新キャッシュフロー経営」初版発行
平成13年6月「新キャッシュフロー経営」2版発行
平成13年8月 月刊「ベンチャーリンク」連載開始
平成13年11月「納税通信」掲載
平成14年3月「企業再生支援の実務」と題して銀行員向けに銀行研修社より出版(共著)
- 経営者向け情報(一部) ...その他の経営者向け情報